最近のワタシはそういう境地です。
自分が自分の期待に応えないとき、どうしますか?
あきらめない?
人の言動で忌々しい反応をやめられない自分や、
今度こそ、正直に自分の思ったことを言うんだ、今度こそ、
ハートからずれたことを言って、その場をやりすごすことはしないんだ、
と決めた自分を見事に裏切った自分。
何年も、何年も。ヒーリングの最中に、「いつまで甘えるつもり?」って
メッセージが下りてきたくらいには、長く。
だけど、それでも、ワタシは自分を変えられない。
自分を責め、ひとしきり号泣して、それも繰り返し繰り返し。
とうとうワタシは自分をあきらめることを学びました。
サレンダーというより、ギブアップです。
ワタシは、ワタシに期待することをあきめました。
ワタシは、期待に応えることをあきらめました。
ワタシは、良き自分という自分像をあきらめました。
ワタシは、自分を責めることをあきらめました。
あのときに、この反応を、選択せざるを得なかった自分を、
とりあえず受け入れることにしました。
可もなく不可もなく、そうなったか、と。
そしたらねえ、どうなったと思いますか。
慈しみの気持ちが、湧いてきたんです。
自分とか、周囲の環境とか、分け隔てなく、
いまここの全てに、あったかいエネルギーが放射されてきた。
自分を見放すのでなく、周囲を恨むでなく、
ただじんわりと、 それらを見つめる視線は、
とても優しいものでした。
本当にこれ、どういうからくりだと思いますか。
ワタシはただ、「もういいよ…」って、全て手放したたけだったんです。
実のところワタシは、
人生は、喜怒哀楽の感情を感じきり、もがき、わめき、大笑いし、
エゴの人間ドラマをやりきって死ぬ方がスキだ。
だってそのほうがロックですもの。
でももう片方では、「いやあそろそろいいんじゃない?そうとう感情的に生きてきたじゃん…」という声が聞こえてきたりもする。
ぶっちゃけ、楽です。ものすごく楽だった。平安すら感じた。
それで、今は、ギブアップの感覚が、からだの半分近くを満たすように
しています。
このままギブアップしたら、どうなるんでしょうか。
向上しない、成長しない、なににも貢献しない人生で終わっていくんでしょうか。
ただ安穏として、内なる平安に座するだけの。
それとも、それこそが宇宙への貢献になるのでしょうか。
我が家の至宝、愛犬フクちゃんの介護が、半ばを超えてきた感があります。看取りまでとわかっているので、今ある命がとても愛おしい。いまここにあるものをそのまま慈しむことを、彼女が教えてくれたのかもしれません。 |
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