私は思春期の頃からずっと、自分は何モノなのか、を問い続けてきました。
何モノかになりたかった。
私は間違っていて、外堀を埋めようとしました。
何かを得れば、何モノかになれると思っていた。
書く絵、字、文章、聴く音楽、着る服、私しかできない仕事、
そんなものがあれば、「●●といえば、ヨシダさんだよね」と言われるよう、
探し続けてきました。
でも、いくら探しても、そんなものはなかった。
私は整体の仕事をするようになりました。
整体といえばヨシダさんだよねと言われるように、たくさん勉強しました。
でも、意識の奥の奥のほうでは、そんなふうに思ってないんです。
わかってしまって、落ち込む。
じゃあ、整体じゃないのかもしれない、あれかもしれない、これかもしれない、
たくさん本を読んでみました。行けるだけのワークショップにも行ってみた。
●●といえばヨシダさん、と言われるようになることを前提とした勉強なんて、
たいした収穫ないんです。
それでもある程度お客さんが喜んでくれて、そこそこ役に立ってるんだなと思えるようになって、やっと本だのスピリチュアルリーダーさんなんかが言ってるような、探しているものは外にはない、ということが腑に落ちてきました。
そのあたりからでしょうか、セラピスト、という括りに違和感というか、嫌悪感が生じ始めた。私があまりにもセラピスト、というものから遠くにいるからかもしれない。
一方、セラピスト意識がないのは、セラピーする人としてはよくないね、というお話も納得がいく。誰が受けたいかね?私セラピストじゃありません、という人の施術を?
とはいえ、たくさんのライトワーカーさんたちの、「あなたが◎◎になっていくお手伝い」というウェブサイトも見れなくなってきた。一体私のなかの、なんのこだわりだろう?嫉妬だろうか?
結局それは、11月3日の日蝕の日、ひとつ明らかになりました。
練習として2つのセッションを受けましたが、
別々の人にしてもらったにも関わらず、明らかになったのはまるで同じテーマだった。
私は、私の本質に、戻りたかったのです。
私の本質とは、誰でもない人。わたしは、ただ存在してる人。
過去の記憶や観念や趣味趣向からできあがっているヨシダヨウコという人間から、
自由になりたかった。
40年をかけ創りあげてきた私を、私という反応を、私は手放すことにしました。
なんだろう、セッションのおかげかな、私は、一度なくなった、と
感じています。具体的にどうとかわからないし、私には未熟な人間関係があるので、
そのときは戻ってしまうのだけど、でも、あ、終わったんだ、と感じた。
セッションをしてくれたTちゃん、Kちゃん、そしてNさんにありがとう。
私は、誰でもない人です。
私は、ただ存在している人です。
メッセージはありません。素敵な言葉は持ってません。
できる仕事はなんでもします。
今ここにいるだけの人に私はなりたい。
読んでて鳥肌立ったよ、ようこさん!!
返信削除魂の声って感じした。響いてきたよ。
なんか、、おかえりって言いたい気分、ものすごく。
ああ、やっと会えたね。
いや〜Tちゃん、ただいま!!
返信削除うん、どうなんだろうねえ〜。私にもまだよくわかってなくて、でもそうとしか言うことができなくて…にしてもまだ何かひっかかりがあるみたいなんだけど…それはじゃあ次回お願いします(笑)